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2009年05月20日

アッバース朝

アッバース朝の発展と衰退いついて、調べてみました。

初代カリフアブー・アル=アッバースの短い治世ののち第2代カリフマンスールは、先代の都であるハーシミーヤがシーア派の尊崇する第4代正統カリフ、アリーの故都であるクーファに近いことからシーア派の影響力が高まることをおそれ、チグリス河畔のバグダードと呼ばれる集落の場所に、762年から新都マディーナ・アッ=サラーム(「平安の都」)を造営した。マンスールはアブー・ムスリムを含む有力者を排斥してカリフ権を強化し、旧アブー・ムスリム子飼いのホラーサーン軍と、ペルシア人を多く含む文官たちをバグダードに集めて中央集権的な国家を建設する一方、シーア派を圧迫してスンナ派のカリフとしてのアッバース朝の性格を明らかにし、王朝の実質的な創設者となった。また、マンスールはビザンツ皇帝に数学の翻訳書を送るように要請した。ビザンツ皇帝はユークリッドや自然科学の書を若干送ってきて、アッバース朝の学者はその内容を研究した。

権力の向上とともに、アッバース朝のカリフは、それまでのカリフの主要な称号であった「神の使徒の代理人(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)」「信徒たちの長(アミール・アル=ムウミニーン)」に加えて、「イマーム」「神の代理人(ハリーファ・アッラーフ)」といった称号を採用し、単なるイスラム共同体(ウンマ)の政治的指導者というだけに留まらない、神権的な指導者としての権威を確立していった。しかしこの絶対化の一方で、カリフの神権性はあくまでウラマーの同意に基づいており、カリフに無謬の解釈能力やシャリーア(イスラム法)の制定権が認められることはなかった点で、スンナ派の指導者としてのカリフの特性があらわれている。

アッバース朝は第5代カリフのハールーン・アッ=ラシードの時代に最盛期を迎え、ペルシア湾ルートを交易路(シルクロード)とする国際貿易の結節点でもある首都バグダードが繁栄をきわめた。しかし、ハールーンの死後に後継者争いが起こって混乱のきざしがあらわれるとともに、内紛により疲弊したホラーサーン軍に代わって、テュルク系の遊牧民出身の解放奴隷からなるマムルーク騎兵たちが軍事力として採用されるようになって、アッバース朝の繁栄を支えた基盤に揺らぎが見え始めた。

第7代カリフのマアムーンはギリシア哲学をアラビア語に翻訳するため、ビザンツ皇帝に使節や翻訳家を派遣したので、多くの文献が保存された。また、バグダードには知恵の館と呼ばれる学校・図書館・天文観測所を含んだ一種の総合研究所を設立し学問を奨励した。そこの翻訳所でもギリシア哲学の諸文献がアラビア語に翻訳された。アッバース朝の学者はギリシア哲学を研究し、先人たちを凌駕した。それらはイスラム科学と呼ばれる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

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